2007年4月16日(月)
レポート:n吉 書きたいことが山のように押し寄せているのに、この話をどのように進めて、どう終わらせれば良いのか、正直わからない。なんだか、説明が難しくて話が長引きそうだが、ZIGGYの新ネタとか、The DUST'N'BONEZの新情報なんてものは一切出てこない。私個人の話でもあるので、つまらないと思ったらサクッと読み飛ばしたほうがいい、と思う。 ZIGGYのドキュメンタリー本、「ZIGGY―HEAVEN AND HELL 天国と地獄のはざまでSIDE HEAVEN 」を読むと、各メンバーの生い立ちからが、詳しく書かれている。 その中で、森重の話である。 森重は1963年、東京都国立市で生まれた、と本にある。高校と大学については実名が書いてあるし、ファンの間では有名だと思う。小学校と中学校については、エピソードは書かれているけれど、学校名は出ていない。じゃあ、どこの学校に通ってたのだろう、と時々考えていた。中学校については「公立だった」とあるので、多分小学校も地元の公立なんだと思う。 国立市は非常に小さい市である。市内に市立の学校は小学校が8校、中学校が3校ある。森重の年代のときだと、小学校が7校、中学校が3校のはずだ、選択肢は少ない。 なんでこんなマニアックなネタかというと、私も国立育ちだからだ。市内の公立小・中学校を卒業している。年齢は森重の6コ下である。 「グロリアでZIGGYのファンになりました!」なんてことがありがちな世代ではあるが、実はファンになったのはせいぜい3年くらい前だ。ZIGGYって名前は知ってたし、曲も有名どころ何曲かは知っていた。でも、数年前まで森重の顔すら知らなかった。 それにしても、自分の事ながら不思議な気がするが、これだけライブに足を運んだり、DVDやCDやインタビューを見聞きしてる割には、出身の小中学校のことについてはあんまり考えたことがなかったのだ。自分とは違う学校だろうな、と根拠なく、なんとなく思っていた。 それがこの週末に急展開した。小学校からの友達と旅行に行った。ずっと切れ目なく付き合いのある友達なんであるが、音楽の話って全くしたことがなかった。それが、今回初めて「ZIGGYのライブとか行くんだ」とサラッと話したら・・・ その友達は小学校時代の先生、K先生としておこう。そのK先生と数年前に別の友達の結婚式で会ったのだそうだ。そのときK先生が「ZIGGYのボーカルが自分の教え子だった」って言ってた、というのだ!!もう、聞いた瞬間、鼻血噴出ものだ。その結婚式の話はもう何回も聞いてるけど、そんな話、こっちも初耳だ。 K先生は私が通っていた小学校の先生だった。担任になったことはないけど、専門の教科を2年間教わったこともあるし、同じ学年の隣のクラスの担任だったりしたから、学年の共通の行事では交流もあるっていうか・・・担任じゃなかったとは言え、よく知ってる先生なのだ。私の担任が何かで休んだとき、私のクラスに来て、普通は「自習してるように」とか言って職員室に帰っちゃうものだが、1時間かけて自分の初恋話なんかを小学3年生だか4年生の時に聞いたこともある、それがK先生だ。 ここで、K先生から聞いた森重の小学校時代のエピソードでもひとつ、ふたつ話したいところであるが・・・その友達、ZIGGYのことを全く知らない。その話もその場で「ふーん」で終わり、何も続くネタがない。「なんじゃ、そりゃあ!!」と怒号の飛ぶような話ですまない。 K先生がどこの小学校で森重を教えたのかもよく分からない。ただ、森重と私、6歳しか年が違わないんである。公立の学校の先生はずっと同じ学校にいるわけじゃないが、たった数年の違いで狭い市内の学校を移動するってことは、ないはずなんである。 ってことは、私と同じ小学校出身?!森重・・・先輩?!?!あの同じ校舎で勉強した人なの?! いや、万一市内の違う小学校だとしても(その可能性は非常に低いと思うが)、同じ先生の教え子同士ってことには間違いないんだし・・・ああ、再び鼻血噴出! ネットでサクッと検索できる範囲で、森重の出身小学校に触れたものは見つからなかった。でも中学校についてはwikipediaに書いてあった。残念ながら、同じ小学校から半分くらいが行くことになる、私とは違う別の中学校だった。 と、そこで前述のZIGGY本を読んでみると、森重は家の前のアパートに住む「音つばめ」っていうグループの人からギターを習っていた、と書いてある。寡聞にして、音つばめってグループは全く知らないし、住まいを知ってるわけでもないのだが、私が通っていた小学校の校区でミュージシャンが住んでたって言えば、「あそこ」なんである。 いろんなミュージシャンやアーティストが住んでたアパートで有名なとこがあるのだ。そして、そのアパートから道路をはさんだところは、私と同じ小学校かつ、違う中学校の校区となるとこなんである。ああ、なんだか色んなことがパタパタと繋がっていく、気がする・・・。やっぱり、森重先輩、でいいの?! 実は、この話を聞くたった1週間前、母校の小学校に足を踏み入れた。校舎も体育館も桜並木も、校庭にある学校のシンボルツリーも私が通っていたときと何も変わっていない。そして、小学校時代と何も変わっていないよ、ってt吉に話したばかりだ。 森重さん、このブログを読むことはないと思うが、もし、同じ小学校出身なら、私が通ってた頃と何も変わらない、多分森重さんの時代とも全然変わってないよ、なんて心の中では思うのだが。しかし、森重は私の友達じゃない。知人ですらない。会える機会も話す機会もないのだが、万一話が出来ることがあったとしても、着地点の全く見つからないこんな小学校ネタを口にすることは出来ない。 真相はいつかわかるのか、森重に関するエピソードを知ることはできるのか・・・。 そうだK先生がいる。今はどこの学校にいるのか、どこに住んでるのかも全く知らない。担任でもないから、私のことも覚えてないだろうし、私が年齢を重ねたK先生を判別できるのかすら、不確かだ。でも担任じゃないったって、私だってK先生の教え子に違いはない。K先生に会えることがあれば、森重のことを聞いてみよう。なんか、10年単位、20年単位の計画だけど。いつかそんな日があればいいな、なんて思った。 長々と一人語りで大変申し訳ない。ので、更に長くなるが、国立ネタをちょこっとだけ。 THE PRODIGAL SONSのライブでRCサクセションの「いいことばかりはありゃしない」をカバーしている。清志郎がライブでどんな風に歌うのかは知らないが、公式にクレジットされる歌詞は「最終電車でこの町についた」だ。でも、森重は「最終電車で国立についた」といつも歌っている。 その後に続く歌詞、「坂の途中で立ち止まる」の坂っていうのは、清志郎が歌うからには国立市の東端にある多摩蘭坂のことだ。多摩蘭坂の石垣には清志郎のファンの人らの落書きがたくさん書かれている。 また別の話。大人になってから知ったが、国立ってちょっと変わっているらしい。マンションの景観問題や駅舎保存問題が全国区のニュースになっているから、知っている人も多いかもしれないが、市民運動が盛んな地域である。なんか、特殊な人が活動してるっていうんじゃなくて、こういう市民活動するのが普通のことって、雰囲気がある。 私が市内の小中学校に通う間、学校で君が代を歌うことは一度もなかった。国旗掲揚とかもなかった。この頃は強制的に国歌斉唱、国旗掲揚しなくちゃいけないみたいで、国歌斉唱の時、起立しなかったといって最初に懲戒免職になった先生がいたのは、私の記憶違いでなければ私の通っていた小学校だ。テレビのニュースで見た。 国立は(思想が)左だ、なんていわれたこともあるが、実は反・君が代的な教育を受けたこともない。何事にせよ、強制されるとか、押し付けられるって雰囲気はなくて、自分達で考えていく、って環境だった気がする。さっきK先生が授業をつぶして1時間語ったってことを書いたが、この先生が特に変わってたわけでもない。小中学校を通して、こういうことは割りと普通だった。児童・生徒主導で行事を行うためにどんどん授業時間が減ってその準備に当てられたり、クラスで揉め事とか問題が起きると、授業がなくなって1時間丸ごとクラスでの話し合いになる、ってことも珍しくはなかった。そういうのが、普通の感じだったから、高校に入ったときはちょっとカルチャーショックがあったりもした。これは私の思い出なんだけど、学校が同じにせよ、違うにせよ、森重が育ったところも、こんな雰囲気であったはずだよ、という話。 今、ちょっと冷静になったが、友達から森重の話を聞いてから、ずっと興奮状態だったわけなのだ。しかし、だから何だっていうのか、なんだか、直径30センチの輪を一人、グルグルと回っているような話になってしまった。
by simakitisimakiti
| 2007-04-16 22:27
| 森重樹一
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